2019-12-03 第200回国会 参議院 外交防衛委員会 第8号
この一番の問題は、ここに書いてあるように、日韓併合は不法だったと、そしてこれは無効なんだと。不法で無効であったそういう併合時代に起きた反人道的な行為は日韓請求権の外だということがこの判決の肝なんです。
この一番の問題は、ここに書いてあるように、日韓併合は不法だったと、そしてこれは無効なんだと。不法で無効であったそういう併合時代に起きた反人道的な行為は日韓請求権の外だということがこの判決の肝なんです。
大事な問題で、大変難しい最近の状況ですけれども、韓国の場合に、根深く日本の、日韓併合ですね、植民地支配に対する反感というのがあって、それが全ての出発点みたいになっている。 私は日韓フォーラムの日本側議長なんかもしていて、お付き合いする、そういう人たちは非常に物分かりいいんですね。
一九一〇年、大日本帝国と大韓帝国は日韓併合条約を締結し、日本が朝鮮半島を統治下に置き、三十六年に及ぶ植民地支配が始まりました。韓国は武力を背景に不法に締結させられたと主張し、日本は国際法に基づいて合法的に締結されたと主張したことから、認識の違いを超えることはできず、いわゆる玉虫色の決着をしたため、植民地支配に対する賠償は行われませんでした。 そこで、外務省にお伺いいたします。
日本と朝鮮半島の歴史といえば、一九〇五年の保護条約、一九一〇年の日韓併合、そして一九四五年、日本が戦争に負けて、冷戦状態の下で南北分断、そして朝鮮戦争、そして今に至るという大きな流れがありますけれども、その歴史の中で、戦争が終わったときには、シベリアから日本軍兵士が日本に戻ってこようとして途中でせき止められて朝鮮半島にいなければいけなくなった。
これはもう総理もおわかりになると思うんですが、一九一〇年の日韓併合によって韓国の国王は廃止をされた。それに伴って李垠殿下は皇太子ではなくて準皇族になり、そしてその後の運命というのは、正直言って、なかなか、本当に大変な苦労をされた方でございまして、日本の陸軍に入って日中戦争にも参加をする、そういう経験もされています。
いろいろな苦労をして日韓関係を何とかよくしていこうと、当時は日韓併合条約百年だったんですよ、そういう厳しい中でいろいろ苦労しながらやっているときに、当時野党だったかもしれませんけれども、こういう言葉を投げつけられる。
至りませんでしたけれども、二〇一〇年の日韓併合百年のときの菅総理の談話を私、汗をかかせていただいたときに、まさに小泉総理の談話も村山総理の談話も河野議長の談話も、党派、それぞれの所属の政党関係なく、我が国の総理として出された談話ですから、そこは歴史を踏まえた上で、我々自身もそこは、自民党とか違う政権でありましたし、社民党の村山総理でもない我々の政権でしたけれども、そこは大切にさせていただいた。
ただ、大臣が歴史認識は変わらないとおっしゃるなら、なぜ過去の総理とは演説が違ったのかということについて理由を明確にいただかなければいけないと思いますし、私も、いろんな悩ましい状況の中で、二〇一〇年、日韓併合の談話を作りました。手伝わさせていただきました。
これはどういうことかというと、韓国と台湾を日韓併合していた時代、韓国を日韓併合していた当時ですね、小鹿島というところに強制収容したのがいわゆるハンセン病の問題なんです。これは、意外なんですけれども、裁判があった都合もありましたが、小泉総理のときに、韓国の強制収容された皆さんに償いをしようと、これ日本国民と同じようにしようというふうに、これは議員立法でした。それをやってまいりました。
五五年の朝鮮動乱で、強制収容されていた日韓併合の時代、資料がないんで、韓国政府が手伝って、そこにいましたよという、そういう一つの証拠、あかしが立てられるということになればそれを尊重していこうということで、一挙に進んだのが、何と自民党政権時代の麻生総理のときなんです。二百数十名の方が一挙にそれで解決していくんです。
ところが、総理は総裁、自民党総裁のとき、資料も配っていますが、二〇一〇年八月には日韓併合百年総理談話、いわゆる菅談話に反対する署名を呼びかけられて、談話が出されるや、日本国民と日本の歴史に対する重大な背信であるなどとする抗議声明を出されています。これについての動画もネットに掲載されております。今もそのまま残っていますが。
西欧列強がやった、イギリスのインドの支配のようなものもありますれば、日本の例えば植民地と言われている日韓併合、国と国との合意によってなされた、こういうのもございます。 ですから、ここら辺も全く中身を吟味しないまま、とにかく曖昧なまま済みませんというような、事なかれ主義でうまく仲よくやりましょうよみたいな文章になっているんですね。こういう談話であっては歴史的価値は全くないと私は思うんですね。
これをいろいろ見ましても、こう書かれているんですね、日本のことを言っているんですが、圧制者であると同時に、社会経済の変化の推進者でもあったとか、植民地であったにもかかわらず工業が著しい発展を遂げたと、植民地下という状況にありながら、多くの朝鮮人がその工業発展に積極的な役割を果たしたとか、日本の日韓併合なくして朝鮮の発達はなかったと、近代化、工業化、まさに非常に貢献したと、ここらはイギリスのインド支配
中山先生が衆議院の予算委員会において日韓併合、朝鮮総督府時代のことについて発言をされたところ、それが非常に話題になって、NHK国会放送の動画がユーチューブにアップされたそうです。それをNHKが著作権の侵害であるということで削除要請をして、削除をされました。ここまでは私も理解できます。
そして、日韓併合の時点では公立学校はたった百校しかなかった。しかし、昭和五年の段階では公立小学校は千五百校。昭和十七年には四千二百七十一校の公立学校を設置したんです。 しかも、この写真を見てください。鉄筋コンクリートですね。れんがづくりです。私は昭和二十五年に小学校に入りましたけれども、木造のおんぼろ校舎でした。
日韓併合条約百年という極めて微妙な時期に、日韓関係をいかに持っていくかということで非常に苦労したときでありました。そういう中で、外務大臣としてどこまで言うか、事務方としてどこまで言うか、それは一つの外交判断であります。一面だけ捉えて何か言われるのは、私は極めて不本意であります。
今、岡田さんが言った日韓併合百年、この百年の談話、あなたは深くかかわっているわね。その日韓併合の百年の談話にこれまた韓国側で大変にかかわってくれたのが、この独島体験館をつくった東北アジア歴史財団の理事長鄭在貞さん、この間、先月退任されました。この鄭在貞さんという、韓国では大臣級です、この財団の理事長が何と言っているか。
日韓併合百周年において出された菅談話、あるいは、韓国側にも求められてもないにもかかわらず、野田総理訪韓の土産として実施した通貨スワップの増額であったり、あるいは、この委員会でもさんざん議論した上で、我々は反対をしましたけれども、朝鮮王朝儀軌、この引渡し。
更に言えば、二年前の菅総理による日韓併合百年の談話からの流れと、こういうものがあると思います。先日この談話を読み返してみたんですけれども、今のこの状況とこの談話が、今のこの状況から見るとこの談話という中身が全く空虚なものだということです。この最後に何て書いてあったか。
そういう意味では、これまで特に、私も外務大臣政務官のときにいましたけれども、二〇一〇年という日韓併合百年をとにかくお互いのナショナリズムに火をつけずに何とか乗り切っていこうと必死の思いで両国の外務当局が頑張っておりました。
○下村委員 菅総理のときも、これは日韓併合百年のときですね、やはりおわび証文みたいな形で、菅直人総理談話、言いました。 実際、ほかの国においても、もちろん、決着がついたことについて蒸し返して、それをわざわざこちらの方から言うということはあり得ないことなんです、外交的にも。
また、民主党政権、この三年間の総理大臣のやっぱり大きな失態というのはほかにもあって、今回の竹島上陸、この問題の一つは、私は、菅前首相の日韓併合百年に当たっての謝罪談話、これにもあると思っています。 これは、今回向こうの大統領が言われているように、慰安婦問題での日本の誠意な対応がないということも背景にあると明言されていますよね、外務大臣、明言されています。
あの二十二年の八月十日に発表しました日韓併合百周年における菅談話から始まって、昨年の十月には野田総理が訪韓されて、朝鮮王朝儀軌も引き渡し、この委員会でもやるべきではないということをさんざん議論いたしました。日韓通貨スワップについても、向こうに対して、特段感謝の意も受けませんでした。
それは、日韓併合によって朝鮮半島を植民地化し、労働力を搾取した時代への反省があったからとされている。この辺の事実関係はどうなのか、お答えいただきたいと思います。
私は、日韓併合百年のその菅総理の、前総理の談話、これもずっと村山談話を踏襲しているんだから、わざわざあんなところでやる必要はないと思っていました。